夏の風物詩の一つとして7月7日に七夕という日がありますが、今年の願い事は決まりましたか?
願い事を書いた短冊と一緒に、折り紙などで作った装飾も笹の葉に飾り付けるイベントが恒例行事になっていますよね。
この記事では、なぜ七夕の日に短冊へ願い事を書くのかについて解説していきます。
七夕の由来
元々、七夕は中国由来の話で、西暦30年から西暦220年に栄えた“後漢(ごかん)”という国から“星伝説”として語られ始めたのが、七夕の始まりだそうです。
この七夕という日は、織姫と彦星が年に一度、天の川を越えて会うことを許された日として、ロマンチックな話で有名ですよね。
織姫と彦星の星伝説
毎日織物をし、美しい布を織り上げて父を喜ばせていた織姫に、織姫の父親である天の神様はそろそろ年頃になった織姫の結婚相手を見つけようと探していました。
そこへ働き者の牛使い彦星を探し当て、織姫に引き合わせました。
すると、2人はすぐに仲良くなり、結婚して楽しく幸せな生活を送るようになりました。
そして、結婚してからというもの、困ったことにあまりにも夫婦仲が良すぎたために、2人は遊んでばかりで、全く仕事をしようとしなくなってしまいます。
次第に、人々の着物は古くボロボロになってしまったり、牛たちは病気になってしまったりと散々な結果になってしまいました。
この怠慢で遊びほうけてばかりいる姿に怒った天の神様は、天の川を隔てて2人を離れ離れに暮らすようにしてしまいました。
しかし、あまりにも悲しみに明け暮れる織姫と彦星を気の毒に思った天の神様は、ちゃんと仕事に励むことを条件に、一年の間で7月7日の夜だけは2人が再会することを許しました。
こうして、七夕になると天の神様から命を受け、カササギの翼に乗って天の川を越えて2人は年に一度、人目を偲んで会うようになったのです。
七夕の短冊に願い事を書く意味
中国から伝わった七夕の原型があった頃は、女性が主に織物や裁縫などの上達を願うだけでした。
しかし、江戸時代へと進んだ頃には、願いを書くという風習は男性も女性も行われるように変わっていきました。
この江戸時代の頃に願い事を書く際には、紙の短冊が使われるようになりました。
そして寺子屋という場所で字の基本的な読み書きやそろばん等を教えてもらうようになり、子供たちは自然と七夕になると、「今よりも自分の読み書きが上手くなりますように」と願うことが主流になりました。
やはり、人間の欲というのは願い事の内容は違えど、何かを得たいという気持ちはどの時代でも共通しているのかもしれません。
願い事が叶う理由
その願い事は、どこへ?誰へ向かって祈っているのでしょうか。
今まで願い事は書いたは良いけれど、いったい誰が聞いてくれるの?と、とても曖昧だった願い事の受取り手は実は、織姫なのです。
七夕の願い事は織物が得意分野とされる織姫にあやかって、自分も織物や裁縫などの手習いごとが上手になるようにということで、願いを短冊に書いていたとされています。
しかし実際のところ、これは織姫が願いを叶えてくれるというものではなく、自分で願いを叶えることを織姫に誓うものなのです。
ですので、願いを叶えてくれるのは織姫ではなく、どうなりたいか、自分の努力によって掴み取るものなので、単なる神頼み?のようなものだと思っている人が多いのかもしれませんが、実は自分の力で実現させるという強い意思を持ち、想いを込めることにより願いが叶うのでしょう。
今では、時代の流れでジャンルを問わず願い事を書くようになり、日本の年間行事の一つでもあり、恒例にもなりました。
七夕の由来とは!?なぜ七夕の日に短冊へ願い事を書くの?のまとめ
七夕の由来や七夕の日に短冊へ願い事を書くことについて参考になりましたでしょうか?
七夕が好きな人なら竹や笹の葉を用意して、自宅に集まって家族や友達と折り紙などで飾りを作ったりと恒例行事として行う人もいるかとは思いますが、大抵の人は一度は短冊に願い事を書いて、笹の葉に吊るすことをしたことがあるのではないでしょうか。
七夕の日では、子どもから大人まで誰でも自由に願い事を書けるように催しが開かれ、今では日本の定番にもなり、幼稚園や学校行事、地域の商店街やデパート、大型ショッピングモールなど様々な場所で行われる七夕の行事で、竹と笹の葉と短冊が用意されているところもあるので、気軽に願い事を書けますよね。
また、何気なく行っていた七夕の行事でも、七夕の元となっている背景を少しでも知ることができたら、時代の流れと共に変わってきている伝統的な行事に、より一層親近感を感じて楽しめるのではないでしょうか。